詩集の能書き


魔法使いの呪文は
いつでも同じであるとは
かぎらないから
言えること






魔法を唱える理由

今日は〜。
なんでしょうこのページは(ぇ)
当初の目的は詩に対する思いっちゅうかそういうつまらんことだったのですが、今読み返すとちょっとひどい文章なもので改訂。
詩についてかぁ・・・。てけとーに語ってきましょう。おー。

さて、詩を書くことですが。
毎日毎日出て来るわけじゃありません。
一週間何も出てこない日もあれば、一日に幾つも出て来る日もあります。
一節良いのが出来たと思ってもなかなか形に出来ない日もありますし、それを忘れちゃうときもあったりするあたり内容は風まかせ(ぇ)
妙な瞬間に出てきちゃったりして困る時もあります。
それでも詩を書くってことは、そりゃあそれなりに詩が好きだからでしょうね。
その上なんとなく空間を気にしたり、イメージを気にしたり。
元々出所が私の頭なわけですからそうなるのも当然っちゃ当然のこと。
それでもやっぱりそういう詩が出て来るので日々、詩を書き続けていると。そういうことです。



魔法を唱える気持ち

詩を沢山の人に読んでもらいたい気持ちがあるのであんまり文章ばっかりってのは好かないのですが、なんかそんな風になってる気がします(ぇ)
気が向いた時に考えましょう(爆)

前述のとおり、曖昧です。詩。
作り方も考え方も載せ方も曖昧です。
でもそれで良いんだ、と思う気持ちもなんとなく曖昧。
やっぱりそれでも良いんだーっ(壊)

と、言うことで皆さんも曖昧に読んでみましょう。
そのまま受けたイメージは形にならなくても良し、言葉にならなくても良し。
やっぱり出所がそういう私の頭なわけですからそうなるのも当然。
言葉で残すこと、と言うよりその場面に立ち会った時なんとなく“これだ”って感じてもらえてれば幸い。
私を通して消化された物事を、貴方を通して更に消化された物事へと変わっていくんだと思います。
感じ方が私と違うのも当然。
情景そのまま伝わらないのもまた当然、なんでしょうかねぇ(謎)

最後になりましたが、魔法を唱える気持ちは曖昧です(爆)



魔法の源

源はどこか。
原動力は何か。
はて、なんのことでしょう?(聞かない聞かない)

他人の言葉とか、事件というより常にそこにある自然っちゅうか、格好良く(?)言えば“時の流れ”でしょうか。
でも一番は経験との繋がり、だと思います(不安げ)
自分が感じたことが、自然現象となって繋がると言葉になると言うか、まぁそんな感じです(わからん)
自分も自然のサイクルの一部なんだと水のサイクルを見て思ったら、今は長い人生の一部でしかないのね、とか。
光源がなければ目の前にあるものにさえ見えなくて気がつけないんだ、とか。
・・・割と理系の繋げ方してますね(←今思った)

他人の心は読めませんし〜、わかるのは自分のことだけかなぁとか、自分のこともわからないかなぁとか。
いろいろ考えながら“自分”って言う粘土こね回してるうちに結構良さ気な焼き物が出来ちゃった〜、みたいな。
そういう出来方ですね。はい。

こね回す、って言うのが左手フレミングの法則(でしたっけ)をぐるぐる回してるイメージが出て来る私って・・・。
つくづく理系かぁ・・・。



もうちょっと魔法使い

以上色々書きましたが、要は自己完結。みたいな。
それでも自己完結するまでに人に助けてもらったりしてるから、ただ単に自己完結って言い切るのもちょっと悩みます。

と、言うことで。変わったら更新情報にも書きますし。気になったら見て下さい。
知って欲しいことは要するに、谷は詩が好きだと。そういうコトですので。ホントに。
ちょっとだけ魔法使いわかってくれたら嬉しいです。
そんな貴方も魔法使いっ(カメラ目線・何故)

感想は手紙(ontohu@oct-net.ne.jp)喫茶店でどうぞ

ではでは、呪文書、読んで下さるのを待ってます。






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